
「人口爆発」「環境危機」「核管理」「テロ防止」「人権保障」等の地球的問題群の深刻化とその解決に向けて、国家主権の壁を超えて、脱国家的(transnational)な立場から一個の人間として選択・意思決定し、実践・行動できる能力・資質の開発7)
これから地球環境問題は、国際理解教育と環境教育両者の対象であることが分かります。
また異文化理解は、環境教育にとっても大切なことです。フランスではカタツムリ(エスカルゴ)を食用にします。捕鯨の問題を思い出してください。日本庭園と西洋庭園とを比較してみてください。これらは文化・伝統により、人間と自然とのかかわり方に差異があることを示す例で、環境教育と切っても切れない問題です。
環境保全の大切な視点の一つは「地域間の公平」です。すなわち「汚染物質は自地域内で処理し、他地域ヘツケ回ししてはならない。とりわけ、先進国だけが自然の恵みを享受し尽くすようなことがあってはならない」という規範です。これは国内の地方自治体間の問題であり、広くは南北問題をはじめとする国際問題でもあります。このように国際理解教育と環境教育とは截然と切り離すことはできないのです。なお、先進国の一員として開発途上国の問題を理解し、解決の方途を考えさせる教育を「開発教育」と呼んでいます。さて次は人権教育と環境教育との関係です。我が国の憲法の柱の一つが基本的人権の尊重ですから、人権教育は、従来から社会科教育や道徳教育を中心に取り組まれてきました。今日改めて人権教育が声高に叫ばれる理由は、まず第一に「いじめ」問題の存在にあります。また男女の関係や青少年と壮年と高齢者との関係の在り方の問題もかかわっています。東西冷戦の終焉後にむしろ激しくなった、民族間の紛争の存在とも関連づけることができるでしよう。
ところで環境問題とはどんな問題であったでしょうか。公害問題を例にすればよく分かるように、まずは人間の生命や健康が脅かされるという問題であり、さらには他の生物の生命の危機の問題だったのです。まさに人権の問題・生命の問題なのです。1970年頃から法曹界において「環境権」の確立が叫ばれたことをご記憶の方もおられるでしょう8)。これは主として既に確立されていた「生存権」とかかわりますが、それには包括し切れない権利として、新たに主張されたものでした。「生存権」とは、国民すべてが健康で文化的な最低限度の生活を営む権利のことです。このことは1993年に公布された「環境基本法」第一条に、本法の目的について「(前略)現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するとともに人類の福祉に貢献すること」と謳われていることからも、その考え方が継承されていることが明らかです。人権、より広く生命の尊重について考えてみましょう。現行学習指導要領において既に、生活科で「生き物への親しみをもちそれを大切にすること」、理科では「生物を愛護する態度」(小学校中学年)や「生命を尊重する態度」(同高学年〜高校)が掲げられています。また従来事ら「人間尊重」を謳っていた道徳の目標が、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」と拡張されました。そしてこの点について「人間尊重の精神は、生命に対する畏敬の念が目標に加わることによって、さらに深まりと広がりをもってとらえられる」と解説しています9)。こうして見てくると、人権教育ないし生命尊重の教育と環境教育とは密接不可分であることが分かります。
ですから現行学習指導要領下の各学校で教育課程に総合的学習を位置付ける場合、また次期学習指導要領において「総合的な学習の時間」が設定された際、環境教育、国際理解教育及び人権教育を全くバラバラに捉えたの
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